徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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安芸灘とびしま海道へその3

平羅島大崎下島の間にある狭い牛渡瀬戸(うしわたりのせと)に架かる現代アート風な意匠の平羅橋(へいらばし)

海面がかなり近くに見える

大崎下島と豊島を繋ぐ「豊浜大橋

豊島と上蒲刈島を繋ぐ「豊島大橋

アビ大橋」なる愛称がつけられている

下蒲刈島上蒲刈島を繋ぐ蒲刈大橋を「であいの館」駐車場から眺める

【記念石碑の碑文より】

蒲刈蜜柑発祥の地

蒲刈蜜柑の歴史は古く、室町時代に信州(長野県)より移住してきた木村道禎(向浦の福島屋二代目の子、俗名木村多郎兵衛)が、天文六年(一五三五) に讃州(香川県)より苗木を求めてきて、蒲刈島の串山(向垣内)と、刈浜にあった清光山光明寺の境内に栽植した。これが芸州(広島県)における蜜柑栽培の最初である。そののち、永禄年間(一五五八〜六九)に下蒲刈島に増殖され、寛文二年(一六六二)に田戸 宮盛 大浦に移植された(「広島蜜柑」より)。
当時の蒲刈蜜柑とは小蜜柑のことで、はかり蜜柑ともいわれ、枡で量って売買していた。販路は 下は博多、上は姫路のあたりまで、山陰では中国山地を越えて蒲刈蜜柑がやってこなければ正月が来ないと言われていた。
であい岬公園整備にあたり、ここに蒲刈蜜柑発祥の碑を建立する。

平成十七年三月建之
蒲刈町長 柴崎龍雄

であいの館から瀬戸内海を眺めていたらやや大粒の雨が降ってきた

この際なの音戸の瀬戸を見物することにし、やや速度を上げて走りだす

国道487号警固屋高架橋下を通過した辺りにあるケゴヤドック前で

第二音戸大橋を見下ろせる高台にて

【碑文より】
音頭舟唄の碑

音戸の瀬戸は、今から八百余年の昔、かつて安芸守であった平清盛公が、平家一門の守護、厳島神社早や詣での舟路を切り開くため、沈む夕日を扇で招き返し、一日にして大業を成就したと言う語り伝えのあるところ。
有名な「船頭かわいや…」の舟唄は、いつのころから歌われたものか作者も不明であるが、干満の激しい瀬戸の潮流を歌声に托して、たくましい腕に櫓を漕いだ港町情緒あふれるわが国伝承民謡の代表的な舟唄である。
今では、大型船時代を迎え、海峡も拡げられ、航路も深く、瀬戸のうず潮もゆるやかになった。近代的な赤い音戸大橋の影に歴史も移り、ロマンチックな舟唄の代わりにポンポン船のエンジンの音が聞こえる。
ときおり、家路を急ぐ夕暮れの海峡から、懐かしい「船頭かわいや…」の歌声が聞こえるが、正調を伝える人は少なくなった。この時にあたり、有志相図り、海の見えるこの丘に碑を建て、祖先の姿と舟唄の火を後世に残すこととした。
石は呉市名産の郷原石。小石は瀬戸から拾ったもの。
わがふるさとの無形文化財として永く歌われれば幸いである。

昭和四十五年七月

なんとも郷愁を誘う碑文に心奪われながら、強くなってきた雨を避けてカッパを着用するため慌ただしく場所を移動する

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