徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

岩国城にて

ロープウェイのゴンドラを降りてf:id:YBR125K:20201125203353j:plain

こんな感じの山道を淡々と上っていくf:id:YBR125K:20201125203515j:plain

豊かな自然は生き物にとっても楽園f:id:YBR125K:20201125203617j:plain

上るにつれて視界が段々開けてきてf:id:YBR125K:20201125204137j:plain

岩国城が見えてきたf:id:YBR125K:20201125204230j:plain

【案内看板より】

岩国城 Iwakuni Castle

 初代岩国藩吉川広家により1608年に作られた山城です。1615年の一国一城令によりわずか7年で破却されました。現在の天守は1962年に再建されたものです。

 天守内には武具などを展示しており、天守最上階からは、岩国市内の眺望を楽しめるほか、城周辺では約400年前の石垣や空堀跡なども見ることができます。f:id:YBR125K:20201125205003j:plain

受付でチケットを見せて

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狭く急な階段を上っていくとf:id:YBR125K:20201125205329j:plain

由緒ありそうな刀剣類が展示されているが、あいにくこの方面にはまったく疎いせいでたいした興味もないf:id:YBR125K:20201125205438j:plain

【案内パネルより】

元和元年(1615)、江戸幕府により一国一城令が出され、各地の大名はその領国に応じて残せる城以外はすべて廃城とし、壊さなければならなくなった。このとき、岩国城を壊すよう毛利輝元らの命令があったが、吉川広家周防国には岩国以外に城がないため、壊す必要はないのではないかと主張する。しかし、長門国では萩本藩の萩城を残すために長府の毛利秀元の城を壊さなければならなかったため、岩国の城も壊すようにと重ねて伝えられ、最終的に壊すこととなった。関ケ原の戦い吉川広家毛利輝元に相談せず徳川家康と密約を結んで以降、毛利氏の一族団結において感情的不和が心配されたため、その配慮もあって壊したともいえる。また、寛永14~15年(1637)にかけておこった島原の乱において、壊された城跡が再利用されたことから、石垣についても破壊が命じられた。これにより石垣も壊すこととなったが、山の麓に御土居がある東側の石垣が安全上残されたのをはじめ、壊されていない箇所もあることから、吉川広家が城の破壊に消極的で、対外的に破壊しなければならない最低限の範囲で破壊したことが分かる。なお、山上の城郭は失われたものの、御土居は藩主の居館であるとともに政治の中心地であったため、明治時代はじめまで残っていた。f:id:YBR125K:20201125210639j:plain

吉香公園ではしゃいでいた子供達も上ってきたらしいf:id:YBR125K:20201125210959j:plain

 天守閣に設置された双眼鏡に100円硬貨を入れ、河原に駐めたバイクを確認してみたりしてf:id:YBR125K:20201125211657j:plain

三津浜港行きのフェリーの出港時間を思い出し、一瞬よぎるツアー最終日の侘しさを振り払いつつ足早に階段を降りていくf:id:YBR125K:20201125212759j:plain

今年は全国的にクマ被害が拡がっているf:id:YBR125K:20201125213033j:plain

さよなら岩国f:id:YBR125K:20201125213322j:plain

 

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錦帯橋と吉香公園その4

【碑文より】

石の翼 岩国ライオンズクラブ20周年記念

 

日本人の心の深層には

 物と語り合える優れた感性がある

その上に

 自然の恵みを共有する思いやりがある 

          澄川喜一

 

立志の碑 

東京学芸大学長 彫刻家 澄川喜一先生のことばf:id:YBR125K:20201123144552j:plain

昼食を終えた小学生達がそこかしこではしゃいでいるf:id:YBR125K:20201123144849j:plain

自宅を出発して以来、今日まで空を支配していた青が徐々に灰色に変わってきたf:id:YBR125K:20201123145251j:plain

広大な園内をロープウェイ乗り場に向かって歩いていくf:id:YBR125K:20201123145418j:plain

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ロープウェイ乗り場の手前にある柏原美術館f:id:YBR125K:20201123145808j:plain

お勧めのセット券は錦帯橋入口で購入済f:id:YBR125K:20201123145944j:plain

 

次の便までは10分待ちf:id:YBR125K:20201123150530j:plain

さすがに発車間際になるとどこからか集まった乗客によりこのゴンドラが満員になったf:id:YBR125K:20201123150338j:plain

 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)を見下ろしながら岩国城に向かうf:id:YBR125K:20201123151240j:plain

 ゴンドラ内で頭上を見上げると疫病退散のアマビエがf:id:YBR125K:20201123154734j:plain




錦帯橋と吉香公園その3

公園手前に立つ吉川広嘉公像f:id:YBR125K:20201122174130j:plain

【案内看板より】

吉香公園 Kikko Park

 江戸時代に岩国を治めた吉川家の居館跡地に整備された公園で、「日本の歴史公園百選」に選定されています。
 春は梅や桜にボタン、お堀沿いにはツツジが咲きそろい、夏は花菖蒲、アジサイ、秋には紅葉など四季折々の植物が楽しめます。f:id:YBR125K:20201122174253j:plain

さくら名所100選の地」の碑f:id:YBR125K:20201122174453j:plain

公園利用に関するお願いf:id:YBR125K:20201122174629j:plain

この付近にはほとんど人影がないが、遠くで子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。

遠足に来たと思われる小学生達の一団が、思い思いの場所に別れて座り弁当を広げていたf:id:YBR125K:20201122175356j:plain

とりあえず吉川家墓所に行ってみるf:id:YBR125K:20201122175550j:plain

 【墓所入口の案内タイルより】

岩国藩主 吉川家墓所

 岩国藩主 吉川家墓所は、岩国藩3万石(後に6万石)を領有した吉川家一族の墓所です。
 墓所内には、6代藩主経永(つねなが)を除く藩主の墓と妻子の墓や石灯籠・手水鉢があり大名の墓所を知る上での貴重な史跡として、昭和63年(1600)の「関ヶ原の戦」以後、約270年にわたり、岩国藩主を継承しました。また、その一方で岩国文化の発展にも力をそそぎ、岩国の基礎を築き上げました。  
       岩国市

 山口県指定史跡 吉川家墓所f:id:YBR125K:20201122203256j:plain

吉川家納骨堂f:id:YBR125K:20201122204816j:plain

【納骨堂入口の案内タイルより】

吉川家の移り変わり

■安芸(広島県)吉川家

 毛利元就の次男 元春

 勇猛な武将 元長

岩国藩吉川家

藩の基礎をつくる

  初代広家 慶長5~19年(1600~14)

経済力を強化する

  2代広正 慶長19~寛文3年(1614~63)

文化を発展させる  

      3代広嘉 寛文3~延宝7年(1663~79)

最も安定した時代

   4代広紀 延宝7~元禄9年(1679~96)

2歳で藩主になる 

     5代広逵 元禄9~正徳5年(1696~1715)

藩の財政が悪化する 

    6代経永 正徳5~明和元年(1715~64)

徳山藩からの養子

 7代経倫 明和元~寛政4年(1764~92)

財政改革を行なう

 8代経忠 寛政4~享和3年(1792~1803)

在職3年で死去  

   9代経賢 亨和3~文化3年(1803~06)

財政改革が成功する 

  10代経礼 文化4~天保7年(1807~36)

財政改革を引き継ぐ 

  11代経章 天保8~14年(1837~43)

長州藩を助ける 

 12代経幹 弘化元~明治元年(1844~68)

最後の藩主     

 13代経健 明治元~4年(1868~71)f:id:YBR125K:20201122211214j:plain

土壁で区画されている墓所は珍しいf:id:YBR125K:20201122211308j:plain

 

錦帯橋と吉香公園その2

錦帯橋を渡り切って公園方向に歩いていくと、お土産店や食事処が見えてくる

ソフトクリーム・お食事処 むさしf:id:YBR125K:20201120174249j:plain

 

甘味処 佐々木屋小次郎商店f:id:YBR125K:20201120174911j:plain

山口名物瓦そば 長州屋f:id:YBR125K:20201120174520j:plain

腕時計を見ると11時50分。

人のいない瞬間を狙って撮影したわけではない。

観光地や飲食店が被りつつある甚大なコロナ被害が見て取れる

錦帯橋と吉香公園その1

午前10時過ぎに錦パレスを出発、かなりゆっくりしたペースの車列に加わり錦川沿いの国道434号~187号線をダラダラと下っていく

1時間ちょうどで河川敷の無料駐車場に到着f:id:YBR125K:20201119211741j:plain

河川敷から錦帯橋を望むf:id:YBR125K:20201119211938j:plain

遊漁者の皆さんへf:id:YBR125K:20201119212059j:plain

掲示板より】

          岩国市民憲章

錦帯橋に象徴される美しいまち岩国
 わたしたちは この地を愛し ふるさとが育てた偉人を学び
教養を高め 誇れる岩国を築き 引き継ぐために この憲章を
定めます

大切にしたいもの
 それは みんなの夢 みんなの命

守りたいもの
 それは 豊かで美しい自然

伝えたいもの
 それは 歴史や伝統 文化の薫り

広げたいもの
 それは 世代や地域を超えた人の和

創りたいもの
 それは 岩国の輝かしい未来

      (平成23年1月1日制定)

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【案内看板より】

錦帯橋 Kintaikyo Bridge

 第三代岩国藩主吉川広嘉により1673年に創建されました。代々続く木組みの技法で架け替えが行われている世界最大級の木造アーチ橋です。
 春は桜、夏は鵜飼、秋は紅葉、冬は雪化粧と、四季折々の色彩豊かな背景とともに楽しむことができます。 
 1922年に国の名勝に指定されています。

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錦帯橋、ロープウェイ往復、岩国城で料金970円也

ちなみに河川敷駐車場は無料f:id:YBR125K:20201119214117j:plain

幼稚園児の頃に来たおぼろげな記憶があるが、憶えているのは母親と叔母に手を引かれて橋を渡った一瞬の記憶だけf:id:YBR125K:20201119215325j:plain

橋の上から見下ろすと川面には漁師の姿がf:id:YBR125K:20201119215637j:plain

 

山口ツアー最終日

朝8時過ぎに目覚め、自室のベランダに出て空を眺めるf:id:YBR125K:20201118204608j:plain

質素極まる朝食を済ませ、荷造りをして10時少し前にチェックアウト。せっかくなので出発前に宿の周辺を少し歩いてみる。昨夜食堂で居合わせた夫婦はすでに出かけたようだf:id:YBR125K:20201118205210j:plain

「錦ホテル前」バス停f:id:YBR125K:20201118205510j:plain

錦パレスを裏側から見るf:id:YBR125K:20201118205627j:plain

橋を渡って対岸にf:id:YBR125K:20201118205928j:plain

夏の林間学校には最適なロケーションだf:id:YBR125K:20201118210107j:plain

そろそろ出発するf:id:YBR125K:20201118210243j:plain

 

雙津峡温泉

見知らぬ場所を思う存分徘徊したあげく午後5時半に宿に到着f:id:YBR125K:20201117213929j:plain

かなり変わった意匠の建物だf:id:YBR125K:20201117215346j:plain

あわただしくチェックインを済ませ、フロントで案内された3階の305号室に階段で上がるf:id:YBR125K:20201117221321j:plain

何やら結婚式場のようなムードの内部デザイン。人影がないのでかなり寒々しい上、風呂上がりの浴衣が似合うたたずまいとは思えないf:id:YBR125K:20201117220404j:plain

寒々とした食堂では、先に中年のご夫婦が食事されていた。この広い施設に宿泊客が3人のみである事実を知るf:id:YBR125K:20201117222000j:plain

言いたいことは色々あったがあえて言うまい。

明日はツアー最終日なので早めに寝ることにする