徘徊する魂   Traveling Alone ! 

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福徳稲荷神社

午前7時前に下関市大坪本町のジョイフル下関店で朝食を兼ねてのコーヒーブレイク。
誰もいない禁煙席に腰を落ち着けしばし休憩。
さすがにこの時刻だと来客数もごく僅かだ。

食事を済ませ、快晴の響灘を左手に見ながら国道191号線を角島方面に進行する。

右手に福徳稲荷神社入口の朱色の鳥居が見えてきた。
道幅は広いがかなり急な上り坂を本殿に向かって進む。
道の両脇には真新しい石灯籠が立ち並んでいる。

福徳稲荷神社本殿前に到着
まるで映画のセットか何かのように大げさで何もかも真新しい

高台にあるのでここから見る響灘方面の景色は見応えがある

【境内の案内看板より】

長門国稲城山 福徳稲荷神社由来の記

当神社は山口県西部(旧 長門国)豊浦町宇賀犬鳴の稲城山山腹に鎮座し、響灘を臨む全国でも稀な観海の稲荷神社にして壱千有余年の歴史を有している。
往時は現在の千本鳥居参道内に、谷嶽・谷森・谷川稲荷の呼称で祀りお社を造営していたことがうかがえる。
現存の資料に『人皇十二代景行天皇 安須の原に御臨幸の砌御山(稲城山と推察できる)の姫』菖蒲を叡覧あり、その美景に魅入られ、去(い)ぬ事を忘れる』とあり以来この処をいぬことなき山、即ち、犬鳴山と称し、更に稲城山(イナギヤマ)に転じたと伝えられる。
近世になると、礼拝所としての参詣は当然ながら、この景勝地を清遊の憩いの場として訪れる人も後を絶たず、昭和四十六年晩秋に右三所の稲荷神社を合祀する社殿を新たに造営し、谷川稲荷の碑に刻されていた福徳の二文字を神号として福徳稲荷神社と称えて現在に至り、日々善男善女を賓客として迎えている。
ご利益としては、五穀豊穣、商売繁盛は固より豊漁・航海安全、更には交通安全・技芸上達・学業成就等に霊験あらたかで、その他諸々の願い事を祈る参詣者が遠近を問わず拝礼に訪れる。
平成六年に環境整備の大改修を施して、今の荘厳な神社となり、尚一層御神徳が発揚されている。

◎御祭神◎
 
倉稲魂大神(宇迦之御魂)ウカノミタマノオオカミ

主祭神であり別称に豊受大神・保食(ウケモチ)大神がある。
一般に言う処の稲荷大神で、衣食住の守り神である。
「稲」を当てるのは、人間の命の根となる稲を司り授けられる神という日本民族の生命的自然信仰に起因する。

大宮能売大神オオミヤノメノオオカミ

主祭神の配神にして、天宇受売神アメノウズメノカミの別称がある。
天照大神天岩屋に隠れ給いし時異様な装いを為し、岩屋の前に舞い大神岩屋より出で給うや御前に侍じ御心慰め給う。君臣の間に立ち能く和平を司り、技芸、学芸上達、福徳円満の神である。

大市比売大神オオイチヒメノオオカミ

素盞嗚命スサノオに嫁し給い倉稲魂大神を産み給う。
「市」より商いを司り商売繁昌に御恵を垂れ給う神である。

ほとんど人影を見ないのは時間が早いせいか

境内右脇から海の方向に向かって延びる千本鳥居

【案内看板より】

千本鳥居について

稲荷大神は、私達の生活に必要なあらゆる物を守護される衣・食・住の大祖神です。
稲荷大神の御神徳は尊くして広大無辺であり、その有り難き御神恩は「(開運)鳥居」の奉納により授かる事ができると云う信仰が稲荷信仰の一つとして在ります。
お稲荷様を崇拝する人達の中には、信心によって危ない局面を救われたり、難儀から逃れたりして様々な成功を成し得た方達がいます。このような方々は一様に、精一杯の努力をした人々で、その懸命な努力は無意識の中の神の意に適った努力となって其の結果「成就」と云う御神恩を授かる事が出来たのです。
こうして尊い御神恩を授かった多勢の崇敬者が、御神意に報いようとして清浄な誠の心で奉納したのが千本鳥居なのです。千の字を当てるのは数の多さを意味しますが実際には、千本以上建てられています。

種々の成功を得た人達が奉納した鳥居ゆえに『開運鳥居』と命名されるところから、この有難いご利益に少しでもあやかろうとしてこの『開運鳥居』を潜る参詣者が後を絶ちません。
そして一方では、願い事が成就しますようにと、願掛けの奉納をされる人達も在り、年を追って名実共に広大無辺の御神徳が威を増しています。

鳥居一本の寄進料が¥20.000は安い、と思ったらすべての鳥居は塩ビパイプをエルボとT型ジョイントで繋げたものに朱色の塗料が塗られている。

コストパフォーマンスは高いと言えるが、近くで見るとまるで風情が無い。

すべての鳥居を潜った先にある谷川稲荷を更に越えて進むとこの景観が現れる。
下に見えるのが国道191号線
画面右奥方向に進むと湯玉駅方面

こちらは通ってきた小串駅の方向

「来る人もまた来る人も福の神」

先を急ぐのでこれにて失礼させていただく