徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

野村町小松地区へ(その2)

ほぼ8年ぶりに訪れた集落跡f:id:YBR125K:20190414155816j:plain

強風が吹き付けたことによるものか、朽ちた窓枠が室内側に崩れ落ちている。
戸締まり出来なくなった建物の崩壊は早い

軒が崩れ落ちるのも時間の問題かf:id:YBR125K:20190414161407j:plain

トタン葺き屋根は錆びによる虫食いが進行f:id:YBR125K:20190414161119j:plain

大きく開いた戸口の隙間からトタン屋根の建物の内部に入り頭上を見上げるf:id:YBR125K:20190414161658j:plain

壁がこちら側に倒れてこないようにするためか、電柱くらいの太さの丸太でつっかい棒されているf:id:YBR125K:20190414162130j:plain

前回来訪時にはなかった道が家屋の裏手に向け続いているf:id:YBR125K:20190414162423j:plain

コンクリートで固められた遊歩道を歩いて窓が崩れ落ちた建物の裏手に回ってみる。石積みの上に建つ堂々たる土壁の建物は昭和の初め頃は旅館で、隣のトタン葺きは荷運びや客を運ぶために飼われていた馬の厩だったf:id:YBR125K:20190414163731j:plain

トタン屋根の建物の壁には去年の案内が貼られたままだが、調べてみると今年の大祭も同月同日なので、曜日無関係で毎年同じなのかも 

大野ヶ原龍王神社春の大祭 

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表の道に戻って三叉路にあるバス停まで歩いてみるf:id:YBR125K:20190414164839j:plain

 庇のある建物にかかったままの表札f:id:YBR125K:20190414165321j:plain

 窓枠ごと崩落して内部が丸見えの家f:id:YBR125K:20190414165611j:plain

どんな状況でこの家を出ていったのか。

いかなる者にも最期の日はやって来るf:id:YBR125K:20190414165857j:plain

壁材の合板が次々に剥離してすだれ状態にf:id:YBR125K:20190414170256j:plain

雨樋に溜まった泥には瑞々しい雑草がf:id:YBR125K:20190414170541j:plain

そば焼酎雲海」の行灯看板f:id:YBR125K:20190414170732j:plain

三叉路に着いた。

道路標識の右横にバス停の看板が立っているf:id:YBR125K:20190414171039j:plain

西予市生活交通バス バスのりば 色納(いろの)

※バスに乗るには予約が必要です。

(午前の便:前日まで 午後の便:2時間前まで)f:id:YBR125K:20190414171443j:plain

三叉路側から数えて一番端の家には布団と毛布が干されている。

この家とすぐ隣の家は今日現在でも居住されていてなぜか安心する。

裏手から舟戸川の穏やかな流れが聞こえるf:id:YBR125K:20190414172157j:plain

付近に咲く花々①f:id:YBR125K:20190414174353j:plain

付近に咲く花々②f:id:YBR125K:20190414174452j:plain

付近に咲く花々③f:id:YBR125K:20190414174620j:plain

三叉路に一本だけ立つ堂々たる桜は今が満開だf:id:YBR125K:20190414172736j:plain

 日暮れが近くなってきたので、ちょっとだけ小松分館に寄って帰ることにするf:id:YBR125K:20190414175413j:plain

 株式会社平凡社
日本歴史地名大系第三九巻
愛媛県の地名
1980年11月15日 初版第一刷より抜粋

小屋村 (現)野村町小屋
 現野村町の東北端にあたり、東西に長く延びた山村。
東は浮穴(うけな)郡(現上浮穴郡)、北は同郡・喜多郡・南は土佐国に囲まれる。四国山地の西部を形成し、村域は標高500メートルから1400メートルに及び、東部の大野ヶ原から発する舟戸川は西に向かって屈曲しつつ流下し、惣川村を経て横林(よこばやし)村で肱川に合する。江戸時代を通じ大洲藩領で、大洲藩領南端の村。
 慶安元年伊予国知行高郷村数帳(1648)の浮穴郡の項に「小屋村 雑木山少有、茅山有」と記し、石高二〇八石一斗一升、うち田方七九石九斗二升二合、畠方一二八石一斗八升八合とある。
 小屋では旧暦七月に「こおどり」が行われる。念仏の間に鉦・太鼓・手拍子を打ち、扇子を振って歌いながら踊る。この踊は関東の鎌倉から来た人に習ったといい、そのなかの伏見踊は江戸初期の「女歌舞伎歌」に載っている。
 村域は昭和18年(1943)上浮穴郡浮穴村より野村町に編入された。