徘徊する魂   Traveling Alone ! 

四国と周辺地方をYBR125Kと徘徊中

県道7号美馬塩江線

徳島県道12号線(撫養街道)を池田方面に向かって走り、美馬町付近から急角度に右折、県道7号美馬塩江線方面に進行する。

県道7号相栗峠の木製モニュメント前にて
江戸時代中期から昭和初期まで香川徳島両県を借耕牛(かりこうし)と呼ばれる農耕牛が行き来した道の一つだった。

塩江温泉郷まで続く県道は香川県側になると途端に道幅が狭くなる。
この辺りには桜の木が見当たらない

県道左手に見えてくる私設キャンプ場跡。
コンテナの横っ腹に「岡田パルキャンプ場」と大書されている

「閉場・永い間ご利用いただきましたが場主高齢の為維持管理が困難になり10月31日を持ちまして閉場いたしました。これまでお越しの方々に厚く御礼申し上げます。」
平成22年10月31日
岡田パルキャンプ場 場主 岡田明

石積みの高台にある無人の場内を囲むように咲き誇る桜並木

奥の湯温泉で一風呂浴びて帰ろうと立ち寄ってみたら今日はあいにくの第二火曜で定休日

前回の来訪は昨年12月初旬の凍りつくように寒い夕方だった

【記念石碑の碑文より】

古来よりこの地の川岸の巌穴から乳白色の汲めども尽きずこんこんと湧出し、これを里人が汲み取り霊験あらたかなクスリ水として活用していた。
その後昭和十三年の台風災害によって埋没していたのを塩江町が地域振興はもとより町発展の基本的な資源として開発しようと図り土地所有者に所有権の譲渡を懇請したところ大いに賛同快諾を得た。
昭和四十八年五月温泉法による掘削許可を得、直ちにボーリングに着手した。幸いにも地下二百メートルより毎秒七リットルの鉱泉水の湧出を確認。県衛生研究所の分析結果も温泉法に定める温泉としての確証を得たので、昭和四十九年七月福祉施設として建設に着手し翌五十年一月に竣工した。ここに町立老人福祉センター奥の湯温泉と命名、同年二月開業、以後引き続き環境の整備、施設の増築更には内部の模様替え工事等を重ねて現有規模の鉄筋コンクリート造り三階建延千六百二十八平方メートルの施設となり、計画の目的が完遂出来たのである。
次いで昭和五十三年七月屋上に湯の神を入魂し、湯の神神社として奉賛会を組織。
毎年秋季に例祭を挙行し、この地の発展と共に塩江町の永遠の繁栄を念ずることとし今日を迎えた。
ここにその梗概を刻し永く後世に伝えるものである。

撰文 笘篠明行 藤澤守之

奥の湯温泉「湯の神神社」前にて