瑠璃光寺の金比羅神社
コスモスの咲く石段を山に向かって上っていく
【案内看板より】
金比羅神社由来
この金毘羅神社は、南北朝時代の貞治三年(一三六四)領主、大内一族が隆盛を誇る頃、讃岐の国、琴平山(香川県)にある金毘羅神社本宮の御分霊を勧請し、大内氏一族代々の鎮守の神として、祀ったのが始まりで、ご祭神は、大物主神と崇徳天皇の二柱であります。
その頃は、神佛混淆(こんこう)の習俗があり、龍神や佛教守護の神、金毘羅大権現と称されていました。
大内氏は、代官の島民遥役や更に明国との交易が頻繁となり、航海の安全を特に願っていたようです。当寺は陶弘房の菩提寺であるが、文明三年(一四七ニ)その子弘護の時に金毘羅様が寄進されました。
宝永の頃、信者である山口の商人、岡本某氏が(屋号鍋屋)北越で海難にあい、梶を海底に失った時、この神に祈願した処、不思議な事に神風が吹き雲が晴れて海上は静まり、無事乗組員全員が港に帰る事が出来、民はそれを喜び、御礼に念願の社を再建されたものです。
金毘羅様は、(梵語クンピーラ=鰐魚)佛法の守護神の一つで、もとガンジス河に住む鰐が神格化されて、佛教に取り入られたもの、蛇形で尾に宝玉を蔵するという、水の中に住んでいるので、水難、海難を避けるということで航海安全、交通安全の神様として信仰されています。
薬師如来十二神将の一つとしては宮毘羅(くびら)大将または金毘羅童子にあたり、琴平(香川県)の金刀比羅宮に祀るのはこの神という。
当寺では、信者も多く毎年四月十日に大祭が行われています。
やや小ぶりな金比羅神社まで上ってみると、さらに上に向って小道が続いている。
少し上ってみると毛糸の帽子を被った地蔵が道なりに並んでいた
地蔵の型にコンクリートを流し込んで作ったようで、どの地蔵も同じ顔と同じ姿勢だ
この付近はまるで人気がないので、夕暮れ時などに訪れるとそれなりにスリルが楽しめるかも
首が取れている地蔵もちらほら
まだまだこの先にも続いているようだが、公園内に見物したいものがあるのでこの辺りで引き返す
取れた首が3つまとめて石の台座に接着されている。見た瞬間にキングギドラを連想したのは不謹慎過ぎるだろう
地蔵の並ぶ山道から五重塔の方角を眺めてみる。
五重塔の手前は墓地が拡がり、昼間から異空間を楽しめる
金比羅神社が見える場所まで下りてきた
瑠璃光寺の境内にも同じ地蔵が二体並んで祀られていた